絵を画くこと
今の私が夢中になっていることのひとつは、絵を画くことです。
私が画く絵は、私が自由に料理するやり方と同じだと思います。
つまり、何が出てくるかわかりません。一瞬一瞬波に乗って楽しんでいるだけです。
キャンバスをじっと見ていますと、いろんな色や奥行きが見えて来ます。
何も描かなくてもそこにあるのです。でも、誰もが見えているものではないので、私はそれを誰もが見えるように描くわけです。
モーツァルトが、五線譜に曲を書くことが仕事で、そうしないと人々に音楽が聴こえないからでした。すでにモーツァルトの中には音楽が溢れていました。
物質という目に見える世界にいることで、このように物質化する過程を楽しんでいます。誰かに認めてもらうために描くのではなく、もうそこにあることが表われ出ることを楽しんでいる感じでしょうか。
人との対話もかように、そこに表われ出るエネルギーをまるで絵でいう色や形を楽しんでいるかのようです。
創造の瞬間ほど、この物質界を楽しんでいる感覚を他に知りません。与えられた世界を享受するも然り、
自らの手から溢れ出ることが、私を取り巻く見えない存在たちとの豊かな饗宴と感得するのです。
つまりは、今の私の波動がキャンバスに色や形となって定着してゆくのを同調してゆくのを楽しんでいるのです。
その波動とは、瞬間瞬間、変わりゆくものでありながらもそこに流れている通奏低音は、生命の大いなる愛の波動。
ここにあることを生かしめている無限な叡智であり、無限なるエネルギーであることを感得するのです。
私という存在は、独りであることは、ないということ、大いなる愛によって生かされているということを。
私のエネルギーが充ち満ちて、絵筆とともにあるとき、それは大いなる愛の波動と一致しています。
そうして描かれた絵を見ると、その波動を感じ同調します。
R.シュタイナーが、芸術の未来は、
「絵なら、物質化した絵がエーテル界に、その色や形が浮遊する」と話していたように記憶しています。
私はそれを先取りするように、すでに人々は波動として感知していると思っています。
それは“物質の霊化”であり、
地球の物質を画家を通して、変容させる愛の行為とも思えるのです。
全身全霊な創造行為は、普段のその人でない何かが現れています。
無限な力と同調一致します。
舞台上の私を観た人が、普段の私と全然違うと驚きますが、誰にもそのような瞬間があります。
内なるものの開花を楽しみましょう。