narikimの日記

http://rainbowduowork.hatenablog.com 日記バージョン

あるがまま

今回、最後の公演に向けて、様々なことが行き交いました。振り返ると、点と点が繋がり線となり面となり多次元立方体となるような、人智を超えた働き、創造主の粋な計らいが、奇跡のような賜物として浮かび上がるのでした。

最後の公演でまとった羽衣の薄レモン色のシュライアーは、地震で再会した福岡のオイリュトミストさんのおかげでお借りしたものでした。2012年にオイリュトミーのほとんどの衣装が消失して以来、たった一枚の紫のシュライアーだけが手元に残されました。

最後の曲目と無音の舞には、あの薄レモン色が光に透かされてとてもいい波動を舞台に放ったのです。

それは、自然を衣とするように、私にとっての由布院の大地と自然、人々の息づかいでもありました。

そうして日常の次元に戻ってみれば、体は適度な運動と休憩、そして意識的な食生活を心がけるよう教えてくれて、そういえばずっと何かをし続けてきたことに気づくので、なんだかんだ言いながら、自分の体の声に耳を傾けながらも、行動面では何もそれに対して応えていなかったのです。

今は娘のお弁当を創ることが喜びとなり、いただいた花束のリボンや美しい包装紙をラッピングに再利用したり、冷蔵庫や洗濯機のある暮らしを感謝して楽しんでいます。

「馬鹿な考え休むに似たり」とよく言われていたので、考えるよりは瞑想し、無になることを日々の日課にしています。それは、かけがえのない生命への祈りです。

生命は肉体が死んでも生きているので、身体とともにあることで死んではできないことがあるのです。それは無限にあると思いますが、そのひとつが“呼吸”です。

まず座り、目を閉じて、呼吸している呼吸に“気づい”てください。それを毎日の食事のように取り入れてください。

そして、“あるがまま”を受け入れてください。

ヴィパッサナー瞑想は、宗教ではなく、人間シッダルタが悟り、解脱した瞑想法です。

ひたすら身体に起きる感覚を“観る”ことで、心(エゴ)の汚濁(心身)を浄化します。

肉体を持った人間だけがエゴを持っています。

エゴの欲求は満たされることがありません。

反応、執着、渇望、思考、認識、それらは心の汚濁となって、膨大な負のエネルギーを放ち、この世の波動を低くしています。

自分のエゴの浄化は自分でしかできません。

一人ひとりの力は、膨大なエネルギーなのです。浄化し、愛と慈しみの波動になるのは、この世に肉体がある“今”なのです。

本来の人間が、愛と慈しみの存在であることを知ります。

愛と慈しみをこめて

以下、公演のご感想いただきました。誠にありがとうございます。

▼公演はいかがでしたか?

1.バッハと舞については、非常に斬新な試みなのではないか、と思いました。他方、バレエなどももともとは、音楽に合わせておどるという自然な行いだったのではないか、とも思いました。今回の演奏&舞を見て、バレエなどの原型を見ることができたのではないか、ということです。

2.私は今回のみ見せていただきましたが、全部の作品を統べるストーリーなどを事前に知っていれば、より認識も深まったかと思います。上京時には是非ともこのような演奏に触れる機会を持ちたいので、今後もお知らせいただければ幸甚です。

3.なによりアットホームな雰囲気がよかったですね。あんまり緊張しないというか、ほんとうに「ありふれた、日常の音楽」というコンセプトに沿った雰囲気だったと思います。

▼公演のご感想をご自由にお書きください。改善点などもあればぜひお願いします。

打ち上げにも参加させていただいて、公演されたたち、公演を支えてくれた方たちとお話をすることがとても楽しいことを実感しました。公演自体、アットホームな感じで肩肘張らずに楽しめるところがよかったと思いますが、公演のあとも、このように懇親会のような場を設けて、参加者が参加できるような形式にすれば、さらに楽しくなるのではないか、と思いました。

仙台 Iさん