“不良”への憧れ
私はいろいろな人の生きざまを聞くことがとても好きなようです。
その中でも、“不良”だった時期を過ごした方々に共通することがあります。
まず、“賢い”こと。
それから、“目醒め”への急激な変容が濃いことです。
後半生にいくに従い、その“目醒め”は、社会や人々、地球に貢献しています。
大方は、仕事、結婚、出産がターニングポイントになるのかもしれません。
しかし、外側からの圧力で“不良”のありようを正されますと、逆に良くない感じがいたします。
その“芽”が潰されかねません。
本人の内側で納得していくことが、大事なようです。
なので、
身近なところで“不良”している子には、つい応援したくなります。(心で)
大ぴらになれない“不良”も然り。
“不良”になれる若者への“憧れ”は、あるでしょうか?
若いうちに、そのエネルギーが使えますと、それがある時期から別なセンサーに変わるのかもしれません。
“あるがまま”を受け入れる家族、社会、コミュニティでありたいですね。
“不良”できた人も、できなかった人も、誰もが素晴らしい!
生きとし生けるものすべてが幸せでありますよう、お祈りします。
愛と慈しみをこめて