安全基地
子供にとって、両親は安全基地であるはず。
しかし、親が忙しかったり、かまってくれなかったり、不在であると、子供にとっての安全基地はあるだろうか?
両親が夫婦喧嘩していたら、そばにいて子どもを守ってくれる大人がいたかどうか。
おじいちゃんやおばあちゃん、叔父さんや叔母さん、近所のおばちゃん、誰かひとりでも、安心して信頼できる大人がそばにいたかどうか。
飼い猫や犬は、どうだろう。
もし誰も安心できる存在がいなかったら、その子は、安全基地がないまま、不安と恐怖と孤独な思いで生きることになる。
一時的に安全基地である存在がいて、その存在が遠くに行ってしまったら、例えば、乳母であったり、大事なおばあちゃんとの死別であったりすると、その別離の悲しみは深く、悲しすぎて蓋をしてしまうことになる。
そして、心のどこかで安全基地を求め続ける。
大人になると、恋をしてパートナーに求めるだろう。しかし、それは長くは続かない場合がほとんどである。
パートナーによっては、求められることにしんどくなり、浮気することもある。
幸運にも、自分を受け止めてくれる相手が現れて、安全基地を得ても、幸せであることに不安になり、刺激を求めて、離れることもある。
そして、また安全基地を求めるのである。
一生をこのように費やすこともある。
周囲に安全基地を見出せない場合、自らが他者のための安全基地となることで、癒されることがある。
その場合、自らの安全基地は自然や土地であることがある。
自然が最も安心できる存在となるのである。
作家の夏目漱石は、いつも訪れる温泉地があったという。家庭は安全基地ではなかったかもしれないが、友人や弟子たちを大事にして面倒見ることで、彼らの安全基地となったと言われている。
そして、小説を書くことが死ぬまで続いたのは、それ自体が癒しでもあったのであろうという。
レインボーDUOワーク®を受けた方々が、ワークの場が、心の安全基地のように、力となっている、あのとき(ワーク)の空間が時折思い出されて愛おしい、というお話をよく耳にする。
レインボーDUOワーク®が、皆さまの安全基地であるよう、私も願っている。
そして、一人ひとりの個性が育ち、輝くのを見守りたいと思う。
愛と光と感謝をこめて