narikimの日記

http://rainbowduowork.hatenablog.com 日記バージョン

安全基地

子供にとって、両親は安全基地であるはず。

しかし、親が忙しかったり、かまってくれなかったり、不在であると、子供にとっての安全基地はあるだろうか?

両親が夫婦喧嘩していたら、そばにいて子どもを守ってくれる大人がいたかどうか。

おじいちゃんやおばあちゃん、叔父さんや叔母さん、近所のおばちゃん、誰かひとりでも、安心して信頼できる大人がそばにいたかどうか。

飼い猫や犬は、どうだろう。

もし誰も安心できる存在がいなかったら、その子は、安全基地がないまま、不安と恐怖と孤独な思いで生きることになる。

一時的に安全基地である存在がいて、その存在が遠くに行ってしまったら、例えば、乳母であったり、大事なおばあちゃんとの死別であったりすると、その別離の悲しみは深く、悲しすぎて蓋をしてしまうことになる。

そして、心のどこかで安全基地を求め続ける。

大人になると、恋をしてパートナーに求めるだろう。しかし、それは長くは続かない場合がほとんどである。

パートナーによっては、求められることにしんどくなり、浮気することもある。

幸運にも、自分を受け止めてくれる相手が現れて、安全基地を得ても、幸せであることに不安になり、刺激を求めて、離れることもある。

そして、また安全基地を求めるのである。

一生をこのように費やすこともある。

周囲に安全基地を見出せない場合、自らが他者のための安全基地となることで、癒されることがある。

その場合、自らの安全基地は自然や土地であることがある。

自然が最も安心できる存在となるのである。

作家の夏目漱石は、いつも訪れる温泉地があったという。家庭は安全基地ではなかったかもしれないが、友人や弟子たちを大事にして面倒見ることで、彼らの安全基地となったと言われている。

そして、小説を書くことが死ぬまで続いたのは、それ自体が癒しでもあったのであろうという。

(『愛着障害』岡田尊司著 参照)

レインボーDUOワーク®を受けた方々が、ワークの場が、心の安全基地のように、力となっている、あのとき(ワーク)の空間が時折思い出されて愛おしい、というお話をよく耳にする。

レインボーDUOワーク®が、皆さまの安全基地であるよう、私も願っている。

そして、一人ひとりの個性が育ち、輝くのを見守りたいと思う。

愛と光と感謝をこめて