親であること
昨年の夏、近所の神社で飛べなくなった子ガラスを近所のみんなが見守っていました。
誰よりもずっとそばで見守っていたのは、親ガラスでした。
樹の上から見下ろして、子ガラスに近寄る者がいると、カァカァと威嚇していました。
子ガラスの傷ついた羽の根元が癒えるのにはかなりの日数を要していました。
時折、お肉をほお投げてじっと見ているおじさんや、毎日必ず様子を見に来るお姉さんがいました。
親ガラスは、子ガラスの自立のために余計な手助けをせずにいました。
何ヶ月も来る日も来る日も、親ガラスはそばを離れませんでした。
やがて、子ガラスが癒えて飛べるようになりました。
動物はエゴを持っていないので、子育てがどのようであるか知っています。
エゴを持っている人間は、どうでしょうか?
私は、子育てが終わり、いかに自分のエゴで大事な子育てを通り過ぎてしまったかを後悔しました。
今となっては子育てこそが、この世で最も大切な神さまの仕事であり、親としての喜びと思っています。
子どもにとって、親がそばにいるだけで安心であり、力です。その安心感はなにものにも代え難いのです。
親にそばにいてほしい時にいてもらえなかった子は、不安を抱えて生きることになります。
そのインナーチャイルドの孤独感や不安感を癒し満たすのは容易ではありません。
そして、いつかそのしっぺ返しが親に向けられるのです。
子育てというかけがえのない役割を授けられています。
“今ここ”の意識で、愛と慈しみがともにありますように。
愛と慈しみをこめて