narikimの日記

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エゴについて

エゴについて、わかりやすいのでシェアします。

以下

オプラ: 結論として、エゴはどのようなものだと言うことが出来ますか?

エックハルト: 私たちは時として、エゴのことを実体のあるものであるかのように捉えますが、エゴというのは単に「無意識」の表れです。それが時々実体あるものであるかのように思われるのです。エゴは私たちを脅かしてくるものでものでもなく、敵として扱うべきものでもなく、排除すべきものでもありません。ただ、エゴはその存在をあるがままに認識される必要があるのです。

エゴはあなたを目覚めに導けば、その目的を果たしたことになります。人間は目覚めるために、一旦根源(ソース)と一体だった状態から離れ、思考・マインド・エゴに自分の本質を見失ったのです。この自己を失った状態はたくさんの苦しみを生み出し、この夢の世界が悪夢の世界になってしまったのです。そして今、私たちはようやくこの悪夢から目覚めるところにたどり着いたのです。私たちが目覚めるということは、元々そうであった状態を取り戻すということです。生命とひとつであり、根源(ソース)とひとつであった状態に戻っていくということです。そして今度は、もっと深いレベルで取り戻すことになるのです。なぜなら、私たちはそれを意識しているからです。

オプラ: ありがとうございます。

※「ニューアース」ウェブクラスより抜粋ーより

以上

根源(ソース)のことは、別のところでは、大いなる意識、創造主、存在の根源のエネルギー、とも表現されてます。

「頭の中の声」である思考も、エゴであると言われてます。

仏陀は、感覚を感じることで、“今ここ”にあることができるとして、そこに思考が入ると、エゴにとらわれて、“今ここ”にない状態になると教えており、エックハルトはそれを現代人にわかりやすく表現しています。

仏陀は、ヴィパッサナー瞑想法により、悟り解脱しました。

それは、生きている体、自分自身の体に潜在意識のエゴによる汚濁がエネルギーとしてあるとして、

それを浄化する瞑想法を自ら発見しました。

エックハルトは、瞑想によらず、日々の生活の瞬間を“今ここ”に生きるあり方を教えています。それは、内なる静けさに気づき、その“気づき”そのものが意識であり、根源とひとつである“スペース”であると表現しています。

この内なる静けさに根を下ろします。

しかし、エゴは無意識ですから、しかも潜在意識のエネルギーがすることは、途方もないのです。

それを目覚めに促すために、いろいろなことが起きて、揺さぶるのですね。

地球規模で、起きていることは、集合無意識にあるエゴ、肥大化し増幅していくエゴへの揺さぶりとも言われてます。

生命は、生命界においてひとつです。生きとし生けるものすべての生命はつながり、ひとつです。我々の生命体である地球と、自分自身の生命はつながっています。

それを感じる感覚が、思考により、エゴにより感じられなくなってしまっているのです。

若い世代、これから生まれてくる子供たちは、地球に優しくしようと教えている、愛と慈しみの存在たちです。

ひとりひとりが、その意識に目覚めるよう、まずは自分自身のエゴに、意識の光を当てます。

内なる“静けさ”が力です。

愛と慈しみをこめて