生存本能?
今日も快晴に恵まれ、
二人の天使さんと軽い山歩きに出かけました。
登山口駐車場に着いた途端、昨日の天使ちゃんが固まってます。
ここの無料駐車場でなく、向かいの有料駐車場に行ってしまいました。
結局、運転する天使さんは、こちらに停められず、天使ちゃんが立つ真向かいの有料駐車場に入れました。
軽いウォーミングアップをして、登山口から歩き始めます。
後方で、大きなスピーカーが、消防団の車やパトカーが、叫んでいます。
「これから野焼きをします。原野には立ち入らないで下さい」
登山道が原野とは思わないので、みんなが歩いています。
そこへ天使ちゃんがまた固まっています。
「訊いてきます」
有料駐車場に停まっているパトカーや消防団の皆さんのところに、天使ちゃんはスタスタ向かいます。
私たちも後からついていきます。
「そうです。ここは全体が野焼きされますので、危険です」
数時間後、真っ赤な火が何メートルにも燃え盛りました。
天使ちゃんの無言の固まりは、有無を言わせないものでした。
知らないで、山歩きから戻ったら煙に巻かれたかもしれない、目前で立ち昇る火を見ることになったかもしれませんでした。
私たち二人とその他の登山客は、“原野”という言葉に囚われて、起きようとすることが一致してませんでした。天使ちゃんは、何が起きるか咄嗟にわかったのです。
私たちは、“登山道”を歩こうとして、それが“原野”の中にあるという認識とずれていました。言葉に囚われていたということです。
天使ちゃんは、言葉を超えたところの本質と一致していたのでしょう。それを生存本能?と呼ぶのかわかりませんが、ある能力です。
マインドの思考に囚われている私たちが失いかけている能力です。
しかし、天使ちゃんは、自分のこの能力を凄いとはちっとも思わなくて、感謝し褒めると、
後ずさりする超控えめな方なのです。
日々の瞬間で見落としていることがあるとしたら、思考したことによるのです。
片や、マニュアル通りに文章を読みスピーカーで叫んでいます。
目前に歩いている人々がいても、直接説明せずにいます。
片や、どこか遠くのことだろうと、耳から入る言葉通りに頭で理解します。
両方とも、頭で生きています。
山歩きを諦めて、由布院近郊の里山へ、そこではのんびりゆったり育っている牛さんたちがいました。
愛と光と感謝をこめて