narikimの日記

http://rainbowduowork.hatenablog.com 日記バージョン

行為への愛

R.シュタイナーの『自由の哲学』より

「私は主人の命に服するから行動するのではない。

外的権威やいわゆる内なる声に従って行動するのでもない。

私は自分の行動の外的原則を必要としない。

なぜなら、私自身の内部に行動の根拠を、行為への愛を見出したのだから。

私の行為が良いか悪いか悟性的な手段で調べようとも思わない。

私が行動するのは、それを愛しているからである。」

「行為への愛において生きること、

他人の意志を理解しつつ生かすこと、

これが自由な人間の基本命題である」

「どんな瞬間にも自分自身に従える人間だけが自由なのである」

仕事を愛する行為において行っていますと、そこの波動が高まります。

八百屋さんが、その仕事を愛していますと、そこで売られている野菜の波動が高まります。

韓国のチェジュ島には、市場がどこの街にも開かれています。何でもあります。

新鮮な野菜、果物、魚、肉、衣類、雑貨、菓子屋、米屋、洋服、漢方薬、鍋釜、などなど。

同じものを売るのでも、その仕事を楽しんでいる人のところに目がいきます。

そして、そこで買うと、買って良かったと思えます。

喜びと感謝が生まれます。

自分が愛していない、嫌だ嫌だと思いながら我慢し続けますと、自分自身の身体も不調を起こし、周囲との不調を起こします。

愛する行為として、その仕事を行うことができているでしょうか?

愛する行為として、料理しているでしょうか?

愛するゆえに、行為を通して愛を与えているでしょうか?そして、その行為そのものを自分は愛しているでしょうか?

自分を愛すると同時に、行為への愛が一致しているでしょうか?

無条件の愛の状態でいられると、愛の波動をクリエイトしています。

ここでも私たちは、幼い子供たちのありように学ぶことができます。

無心になり、愛の状態で行為することを。

愛と光と感謝をこめて

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