narikimの日記

http://rainbowduowork.hatenablog.com 日記バージョン

家族の体、家系の体

人生の奥深さを別な観点からも見ます。

その家系で、種が尽きる場合。

家系まるごとが、ひとつの体だとします。

例えば、闇の側面ばかり見せられた血族で、その家系で最後に生み落とされた子孫が愛と光の存在で、その血族の側面である闇を、浄化し光に変えたとします。

血族のもがき苦しんだ思いが昇華されます。最後の種である存在により、血族の花が咲いたという観点です。

例えば、代々が音楽家で、大天才音楽家が現れますと、その家系も花が咲いたので、種が尽きていく、という観点です。

しかし、このありようも変わるでしょう。

一人ひとりの意識が目覚めることにより、本来の自分に目覚めることにより、一人ひとりの花を咲かせます。

DNAに刻まれた負のエネルギーに反応しないでいられるようになるでしょう。

肉体を携えながら、愛と光の存在として。

自分を知ること。

「人間よ、汝自身を知れ」

R.シュタイナーのお祈りの言葉に、

「人間の魂よ、頭(こうべ)の中で創りだされるものが、善なるものとなり得るように」

ある程度、感情が楽になって平静を獲得されたあとには、思考の言葉のパワーを使い、善なるものを創造します。

新たな人類は、自らから産まれるのです。

愛と光と感謝をこめて