ひろみさんの昇天
私は滅多に、お茶碗を割りませんが、今朝、湯呑みが落ちて割れました。
「あっ、今、火が点いた」直感でした。
ひろみさんの御遺体に火が点いて燃えていくのを観ました。
じっと観ていました。
物理的に見たのではなく、シータで超直観で見届けるのです。
御遺体がいかに神聖であるかを、ずっと感じていました。
その方の思いや感覚が肉体とひとつになっているように感じました。
髪の毛一本一本、皮膚や臓器、血管、骨、全てがその方のありようでした。
昨日、涼しくなって私はひろみさんのお別れ会に行くことができました。
熱中症で体が弱くなっていたからです。
武蔵小金井駅前からタクシーで多摩葬祭場へ向かいながら、運転手さんが興奮しながら話してくれました。
「こんなことは、何十年タクシーやってても初めてでしたよ。とにかく突然豪雨ですから。いきなり雲が真っ暗になり、バケツをひっくり返すどころか前が見えないんですよ。お客さんは靴の中までずぶ濡れになってねぇ」
とめどなくしゃべり続ける様子でした。いかにすごい瞬間豪雨が予期せず起きたか伝わってきます。
ひろみさんのお顔を見るのはもう最後なのに、行かないという選択で迷っていました。犬の散歩で外に出ると思いがけず涼しく、行けるような心持ちがいたしました。
「なりちゃん、来て」
「えっ」
「大丈夫だから」
ひろみさんの声が聞こえたように思いました。
するとそこにアウトレットのお店がありました。喪服になる黒い服など一揃い簡単にすぐ整いました。
葬祭場に行くことしました。
中野駅から中央線に乗ると、車窓から美しい黄金の雲が西に傾く太陽に柔らかくたなびいているのが見えました。
ひろみさんが羽衣で舞っているように感じました。
集中豪雨の後に、空気が浄化され空が輝いていました。
美しい魂のひろみさんとともにいたたくさんの守護天使たちが、お別れ会にお清めしてくれているようでした。
こんなに近くに来ていたのに、もっと早くに会っていれば良かったのに。
悔やんで悔やんで悔やみました。
初回公演がまず終えれば会える、そう思っていたのです。「生みの苦しみ」の最中は誰にも会わないし、どこにも行かずでしたから。
☆☆☆
ひろみさんの愛弟子さんたちが、帰りの車に乗せてくれて、国分寺駅までの距離の間、お話ししてくださいました。
月に2回のオイリュトミーを、もう20年続いていたこと、その教え方の愛情を感じました。国立の「遊」の子供たちにも2世代に渡り、長くコツコツきちんと関わってきました。
「よく続けてきましたね」
「とにかく、ひろみ先生は素敵なんです」
存在そのものが、素敵なんですね。
喪主の妹さん曰わく、
「舞台公演の写真やプログラムを全部一つひとつキチンとファイルしてあるんですよ」
何から何まで、きちんとしている方でした。
徳が高い方のようでした。
ずっと御遺体が火に包まれていき、遺灰になっていくのを見届けてました。
こうして、家でひっそりとその瞬間に立ち会えることができたのは、私にとって良かったです。独り集中して送り出せたからで、シータのおかげでした。
韓国では、亡くなった方を送り出す時、茶碗を割るので、今朝茶碗が割れたのが知らせとなって、その瞬間に気づきお祈りしました。
ずっと愛と感謝と祝福を送り続けながら、全部燃えて骨になるまでを観ていました。
すべてが美しいと感じられました。
そういう意味で、お遺灰はすべて持ち帰るものと思いました。
肉体とともにこの地球に「在る」素晴らしさに感得いたしました。
ひろみさんが、安心して昇天していくのを見届けました。
“肉体の死は死ではない”
この世での生きたすべての軌跡そのものが、『種』になりました。
それが、オイリュトミーでは、“オクターブ”なのではないでしょうか?
真なるもの、善なるもの、すべてが美しい。
「オイリュトミーは、人と人とをつなぐ」と、ミヒャエル・レーバー氏が話されてました。
「オイリュトミーは、肉体の霊化」とも表現されていますが、
オイリュトミーを通して、人々の魂のつながりが神聖なありようとなるように思います。
オイリュトミーに惚れて、オイリュトミーを愛し、オイリュトミーを楽しみ、オイリュトミーに捧げ尽くしたひろみさんの種は、
ひろみさんが関わった人々だけでなく、
自然界や精霊たちにも、
《愛と喜び》をもたらしたでしょう。
また、お茶したり食事したり、おしゃべりしたかったけど、
これからは、新たなつながりの在り方で、ひろみさんとつながるように思います。
それも、《DUO》なんですね。
舞台でデュエットできなかったけれども、あちらの世界にいるひろみさんと、こちらの世界にいる私のDUOができると信じているのです。
昇天していく姿を見届けながら、
その“実感”が降ってきました。
在りし日のオイリュトミスト谷合ひろみさん
今宵の満月は、ひときわ美しく輝いています。
「私は、愛と光である」
愛と光と感謝をこめて