思いつくままに
人生の大半を好き勝手に生きた者にとって、この先、何かしたいとか、何処かに行きたいとか、あれが欲しいとか、というものがなくなっています。
エゴの要求を受け入れられたのはいいけれど、それが「青い鳥」だったと身に染みて感じたときは、時すでに遅く、
それからの日々を、ただひたすら反省と浄化に費やすのでした。
そして、“死に支度”を少しずつ始めています。
それにより今までで最も満ち足りた感があり、
何かを意図せずとも、生活のありようも食生活も次第にシンプルになりました。
今は、ヴィパッサナーな日々の暮らしを家族とともにあり、際立った変化よりも、“今ここ”にある静けさに根を下ろしている感じです。
それで思いついたことといえば、
いろいろな次元が交錯している中で、都会にあって、
ヴィパッサナー瞑想者の「場」を創るというのはどんなものか?
浄化スポットとして、そこに行けばいつでも静かに瞑想できる。
遠方の人には宿泊も提供する。
併設されたオーガニックヴェジタリアン食堂がある。
瞑想仲間と談話できるカフェにもなる。
名前は、「ダンマ食堂」
私は、ダンマという言葉の響きがことさら好きです。
私がこのようなヴィジョンを思いついたら、瞑想アパートなるものは、すでにヨーロッパにあるそうです。みんな同じことを思いつくのだな。
もうやり尽くした感があったにもかかわらず、
まだまだやりたいことが出てきたことに少々驚きもあり、
しかしそれらが今までと異なるとしたら、
衝動の出処かもしれません。
兎にも角にも、考えることをやめ、流れにまかせているこの頃です。
生きとし生けるものが幸せでありますように
愛と光と感謝をこめて