「ダンマの道」
人生の何箇所かで、絶望を体験することがあるでしょうか?
あまりの絶望に蓋をして記憶から遠のいているかもしれません。
しかし、そのエネルギーは潜在意識の奥底に活きていますので、
別のありようで体験することがあります。
そのときに、寄り添ってくれる人がいるのは救いですが、寄り添ってもらえない、心を開けないことの方が多いと思います。
そして、“道”に出会われた方もいます。
キリストが、エーテル界(生命界)に復活すると言われていますが、
キリスト意識のことと思っています。
絶望のどん底にあるとき、人は生きながらに“死”を体験します。
その“死”において、キリスト意識によって救われます。
それが、“復活”です。
キリストとともに、生命界で復活する、ということです。
これは、私の認識するところで、違うかもしれません。体験した人にはわかると思います。
そして、仏陀の意識も同様です。
キリストは、愛と光。
仏陀は、慈愛。
先日、茂原にあるヴィパッサナー瞑想センターで、「瞑想者の集い」がありました。
そのビデオを観せていただき、感動したことをシェアします。
一人ひとり、苦しみを抱えていない人はいません。
日々の瞑想をしていることにより、ダンマの導きにあります。
集いでは、それぞれの方が思いを語っています。
それを、愛と慈しみの心で眼差しで、周囲の人たちは見守り聴き入っています。
時折、すすり泣く人、号泣する人もいます。
その場を支えているものがあります。
「ダンマ」です。
ダンマによって、安心し信頼し合っています。
誰もジャッジする人はいません。ただただ受け止めています。
ダンマによって、
愛と慈しみとなります。
ダンマを信頼し、
他者の苦しみに立ち入らない。
その信頼の輪が、この「集い」にありました。
「奉仕」することの素晴らしさを感じました。
「ダンマの道」により、つながることそのものが、
清らかさ、美しさ、静けさ、そのものと思えるのです。
今日は、とりとめもないことを書いているけれども、
孤独で、絶望にある人たちに、
このような、“つながり”があることを知ってもらいたくて、
涙をもってブログしました。
瞑想コースの後に、奉仕することで、それを実感すると思います。
最後に、
どんなときも、どんな瞬間も、
キリスト意識、仏陀は、(また他の神々も)
あなたとともにあります。
生きとし生けるものすべてが幸せでありますよう、お祈りします。
愛と慈しみをこめて