愛と慈しみの目覚め
今日は、地震がありました。
地震の度に自分だけでなく、他者を思いやる気持ちが増しているように思います。
互いの身の安全を確認し合い、何かあれば助けたいと意思表示します。知らない人にも気遣います。
物質的に豊かになり、他人と関わらなくても困らない生活のあり方が、一変します。
地震の多い日本では特に、人との関係を意識的にも作っていくことが求められるでしょう。
愛と慈しみの存在であることに目覚めます。
何よりも大切なかけがえのない生命を、助け合い守り合い、育て合います。
互いに“つながっている”感じは、心強い、心に力があるのを感じるでしょう。
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人間は太古の時代にはつながっていた、大いなる意識、神、創造主、から離れ、自分が誰だかわからなくなってしまいました。
バラバラになった個としての意識は思考する力を獲得し、科学的な技術進化を遂げ物質文明を築き上げました。
その最たるものは、原子力エネルギーです。最小の原子に最も大きな破壊的な威力を与えてしまいました。その威力はまた、マネーで麻痺させ、人間のエゴを操る力となりました。
福島原発事故で未曾有の人的被害を招いたにもかかわらず、再稼働するのは、国がもはや国民を守らないと意思表示しているようにしか思えないのではないでしょうか?
太古の時代における権力者は、大いなる意識、主なる神とつながることができる者でした。
神の声を聴き入れ、政治は神聖なる国の祭り事でした。
地域のどこにも鎮守の杜があり、人々の暮らしにも神々が祀られていました。
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個々の意識が、他者によらずに内なる神とひとつであることに「目覚め」、最大の平安を得ます。
思考していると、“今ここ”(大いなる意識、神、創造主)の意識から離れ、この瞬間を生きていません。
大切なかけがえのない瞬間を共有しながらも、思考することにより忙しく、この瞬間に与えられた可能性(創造性や喜び)を台無しにしてます。
失って、何が大切かわかるよりも、すでに大切な瞬間を生きます。
揺すぶられて目覚める前に、“今ここ”で目覚めるのです。
権力に委託するのではなく、内なる真実の光に気づき、世界を内なる意識でつながります。
それは自分自身との愛であり、調和であり、自分以外の他者への愛と慈しみのまなざしです。
私たちは、生きています。限りなく深遠な叡智そのものとして生きています。
愛と慈しみをこめて