エゴについて②
エゴという響きは、何か悪いことのように感じるかもしれません。「エゴを浄化する」という表現からも誤解されやすいと思います。
「エゴは“無意識”の表われです。
エゴはその存在をあるがままに認識される必要があるのです。
エゴはあなたを目覚めに導けば、その目的を果たしたことになります」
一元論の観点、無条件の愛で観ると、善もなく悪もないのです。全てがあるがままに受けとめられます。
本質から離れてしまったありようが、エゴだというのです。本質は、愛です。
自分への愛、家族への愛、社会への愛、国への愛、民族への愛、動物への愛、植物への愛、地球への愛、生きとし生けるものすべてなるものへの愛。
愛はなくなってしまったのではありません。
愛である自分の根源を忘れてしまい、見失っているのです。もしかしたら、その見失ってしまったことは、他者に依らず自分で見失ってしまったのかもしれません。
その無意識を目覚めさせるのに、エゴに向き合うことが起きています。
シュタイナーは、エゴのことを低次の自我と表現しています。
低次の自我(エゴ)は、肉体の欲望に支配されています。
心の苦しみは、反応、執着、渇望、嫌悪、思考を生みます。
病気、死、災害、恐怖、不安、孤独、悲しみ、怒り、憎しみ、後悔、拒絶、偏見、、、。
エゴ(愛から離れた無意識)が揺さぶられることで、内なる意識に気づいています。
しかしながら、それは単純ではありません。
しかし単に肉体の欲望というよりも、エゴの中には傷ついたインナーチャイルドがいるという点があるということ、そして見捨てられ忘れられたインナーチャイルドは、エゴの一部となります。
無意識の力が集合的無意識と結びつきますと、エゴが肥大化し、エゴの力が増幅してしまい歯止めがかからなくなります。それが戦争です。
以下の方のブログにヴィパッサナー瞑想コース講話5日目で、わかりやすく書かれていますので、ぜひお読みくださいませ。
素晴らしいです。
愛と慈しみをこめて