絵を描くとは
由布院への交通機関が停止している間、福岡の友人宅にお世話になってました。
その友人とは、オイリュトミーシューレを卒業して以来、一度も会っておらず、14年ぶりの再会です。
あちこち移動していたので音信が途絶えていた私の元に、ついこの間、たまたまこのブログにたどり着いて連絡してきてくれました。その折に、
福岡に寄るときはいつでも泊まりに来てと言われて、そのようになりました。
久しぶりの友と過ごしながら、ふたりでたくさん話し、ご主人とも交流し、
心は解きほぐされ、新たなインスピレーションを得、不思議な時空間にいるような心持ちでした。
室内に飾られている数々の絵は、ご主人が描いたもので、どれを観ても味わいがあり、微妙な線に生き生きした感じを覚えます。
「これが不思議でね。この絵を描いたときのこと、その場にあるすべてのことを生き生きと覚えているんです」
「それなんですね。わかります。それが“今ここ”にあること、この瞬間を生きていることですね。昔子どもが生まれた頃、私がいつも写真を撮っていました。
あるとき、生後数ヶ月の息子を抱く夫の姿に一瞬感動し、カメラに収めようとすると、心の眼に収めてごらんと夫が言い、
その瞬間、それを実行すると、感動したその瞬間がとてもリアルに、私の中にのこされました。それ以来、いつでも思い出すとその瞬間は、生き生きしているのです。
あの瞬間、私は“生きた”のだと思います。
Kさんは、それプラス、それを絵に描いたのですから、生きたものとなり、こうして観ている者に感動を与えたのだと思います。
普段、多くの人々は時間に追われて、今ここを生きていないのです。
何故、ゴッホが狂ったように絵を描いたか、その冥利がわかる気がします。
芸術行為において、“今ここ”を生きることができる、それをシェアできたことは、とても大きな収穫でした。
新たなレインボーDUOワークへのインスピレーションが、地震の影響により、こうして静かにやって来ました。
愛と慈しみをこめて