いまここの感じ
私が何故、芸術の方向からDUOワークに至ったかと言いますと、
芸術に没頭していた若い頃、様々なご縁で、いろんな分野の錚々たる著名人たちと近いところでお目にかかることがありました。
私は小娘のように可愛がられて、いろんなお話をしてくれていました。
それらのお話も、皆さんのご活動もとても素晴らしいし今でも尊敬しています。
でも皆さんに共通することは、その生き方、活動の基盤として、それぞれの思想や宗教がありました。
そして、作品や活動に生かされ、お弟子さんもたくさんいました。
しかし、その方々を観ていますと、孤独や苦悩を存在から感じていました。それをも引き受けている姿でした。同様に、私自身もそうでした。
芸術に没頭することで、家族を見ないようにしていた自分のありようがありました。そして、とうとうその芸術活動も続けられなくなりました。
私が一番向き合わなければならないことが浮上してきました。若き頃に謎として感じていたことを、自分が自分の内面に向き合うことで、徐々に明らかになってきました。
もちろん、芸術はその助けになりました。絵を描く行為、オイリュトミーを通して、見えない世界に見える世界を生み出している生命界があることを知りました。
舞台活動を共にしている、武久氏の音楽表現もそこにあります。
「この物質界に奏でる音楽ではなく、それを生み出している生命界に音楽を奏でる」と語ってくれたことがあります。
芸術は、そういう意味で、凝縮された“生の世界”であると思います。
私は、これをさらに深め高めることを、“存在そのもの”がそうでありたいと思うようになりました。
何か特別なことをするとかではなく、存在が“ある”そのものに“根を下ろす”のです。
「生きているだけで、かけがえのない価値がある」ということを、どんな瞬間にも実感としてあるのです。
それは、一言で表現しますと、今の私の感じでは、『至福』です。
そこを生きるのです。
愛と光と感謝をこめて