緊張は、ハラに溜まる
人間の身体は、叡智そのもの。
人生がうまくいっていると思いきや、身体は正直です。
特に、「緊張は、ハラに溜まる」と、整体師の言葉です。
ハラに溜まった緊張が、四肢の筋肉の緊張にもなるそうです。
東洋で言う、ハラは丹田ともいいます。
「虐待の記憶は、消化器官に溜まる」という表現とニュアンスがだいぶ違う感じがします。
エネルギー体であるところの精妙なありようは、驚異的であり、顕在意識では感じきれない深い深いエネルギーです。
特に、虐待の体験は、恐怖の感情ですから、無意識に蓋をして感じないようにしています。
無意識に蓋をするというあり方も、自分を守っているので、無理に開けようとはしませんが、蓋の下で蠢いているエネルギーは、どうにかしてほしくて、それに気づかせることを起こします。
それは、病気や身体の痛み、周囲の人からの言葉や態度、トラブル、などなどです。
それから、虐待した相手には、過剰な反応、または鈍磨して無感覚な状態にもなります。恐怖があると、安全ではないので感じないように無意識が働くのです。
その場合、物理的に離れていれば身体は楽なのですが、無感覚なままに同居していますと、身体はしんどくなります。
また、無意識な行為として、相手に暴れてほしくないので、常に空間に波風立たないように気配りしたりします。
こうして、自分が緊張していることにも気づかないまま過ごしています。
もし、虐待した相手が親や兄弟、パートナーや家族同様の者であった場合、
愛の関係を無意識が求めますので、その人に愛されたいという思いが、そこに主従関係を生むことがあります。そうなると、自分自身に自信が持てなくなり、自分が何をしたいのかわからなくなって、人の意見に左右され判断決断に迷います。
虐待とは、暴力された以外にも当てはまります。
子供時代に子どもとして扱われないことも虐待と見做します。
また、子供時代の家庭環境で暴力的な行為や発言に晒されていましたら、それを見ていたことも、虐待になります。
子供時代をそのように過ごしますと、大人になって、身近なところにそれに似た関係を無意識に引き寄せる傾向があります。
ですので、しんどさを感じたら、物理的にしばらく離れてみます。
まずは、自分を安心安全だと感じられる場所にいるようにし、それからDUOワークします。
DUOワークして解放されても、同じ波動のところに戻りますと、また波動が下がります。
虐待については、丸ごと、生活パターンや人間関係、仕事などなどを変えるくらいのことをして、
"古い記憶"から、"新しい記憶"として生きることが大切だと思います。
自分の波動と調和するあり方を、心がけて、自分を丸ごと慈しみ愛し、育てましょう。
私たちは本来、そのままで完璧であるのです。
愛と光と感謝をこめて