narikimの日記

http://rainbowduowork.hatenablog.com 日記バージョン

あるがままの奥深さ

誰もが、変わりたい、と言います。

自分が変わると、周囲が変わると思っている方もいます。

自分が変わると、楽に生きられると思っている方もいます。

他者を変えることはできないけれども、自分を変えることはできるとも言います。

もちろん、そのようになります。

しかし、

変えさせられた自分になっていたとしたら、どうでしょうか?

人は、あるがままの自分を受け止めてもらえないと、知らず知らずに自分を変えてしまいます。

そうすることで、周囲との調和が取れ、生きやすいと、心のどこかで思い込んだのかもしれません。

幼児のけなげな姿を見てください。

大人になった私たちも、あの子たちのようでした。

人前で何もしゃべれなくても、言われたことが直ぐに理解できなくても、

みんなと同じようにできなくても、食べるのが遅くても、好き嫌いがあっても、黒板の文字が読めなくても、かけっこが遅くても、朝早く起きれなくても、にこって笑えなくても、歌が歌えなくても、

そのままでいいよ。

ひとりひとり、皆違うのです。

もしかしたら、何も喋らないことで、別な回路が働いていることもあるでしょう。

その子の、個性を認めて、あるがままを受け止めてあげたら、

その子はそのままで、本来の自分であるのです。

大人の目で、ネガティヴな側面として、その子を見たら、その目によって、それがネガティヴだと思わされ、自分自身を受け止められずになってしまうのではないでしょうか?

生まれる前に決めてきた自分のありようは、両親を選んできていますから、完璧と思って生まれています。

しかし、生まれてくると、周囲の価値観で、変えさせられるようになったら、どうでしょうか?

大人になった自分が、自分を変えたいと望むとき、

変える、という観点ではなく、

自分がネガティヴだと思っていた側面を、あるがままの自分という観点で観ますと、

それは大事な自分本来の個性であることに気づくかもしれません。

そして、その個性を愛おしく感じますと、

その個性により、やりたかったことが、思い出されるかもしれません。

ナデシコの花は、すでにナデシコの種として生まれ、薔薇の花にはなりません。

自分を変えようとすればするほど、しんどくなるでしょう。

玉ねぎの皮が剥かれるように変容するあり方は、

成長のプロセスでの、周囲の価値観や縛りを解く作業に他なりません。

すでに完璧な種として生まれた、その個性に必要なのは、

そのままで完璧な存在です、と畏敬をこめて、無償の愛を注ぐこと。

その子が、求めることを、丸ごと受け止めてあげること。

幼児が求めるものは、

抱っこして、お腹すいた、自分を見て、優しくさすって、言葉がけして、など、とてもシンプルです。それで十分に満たされるのです。

それらが十分に満たされないと、愛着障害となり、生きていく上で困難になります。

あるがままの自分を受け止めてあげることと、満たされなかった体験を、新たな体験として、レインボーDUOワークで取り入れています。

これらのことを心に留めていますと、

日々の暮らしの瞬間に、ふと気づくことがあります。

そしてその気づきは、とても大きな気づきにもなるのです。

愛と光と感謝をこめて