慈悲
〔カルマの清算〕として、己が罪の意識を持つことが、一般化すら、していると思われます。
しかし、罪の意識は、善悪二元性に基づくもので、終わりのない輪廻転生を繰り返すことにもつながります。
仏陀の到達した〔慈悲〕の心は、二元性の意識から生まれるのではなく、
一元性の、無条件の愛に基づいていると思うようになりました。
今まで、マスターと呼ばれる高次のヒエラルキー存在が、二元性の善悪のある世界に属していると言われてきましたが、
一元性の愛と光の“流出”行為の共同創造に携わったであろう、マスターたちの意識は一元性の無償の愛の熱であったろうし、
たとえ、光と闇として現れでたであろうとも、総じてひっくるめて意識の光なのではないかと思うのです。
そのような観点で、仏陀の仏陀(覚りを得たもの)たらしめた意識の変容こそしれ、一元性の意識であろうと、思われます。
〔慈悲〕をエゴを超越した一元性の意識からのありようと見て捉えると、その本質がすでに“無条件の愛”であると思われるのです。
愛と光は、あなたです。
愛と光と感謝をこめて