narikimの日記

http://rainbowduowork.hatenablog.com 日記バージョン

霊的成長もたらすレインボーDUOワーク®

レインボーDUOワーク®

私たちは、人間としての父母のDNAに刻まれている情報を携えています。

そこには、父母の家系にまつわる情報のみならず、自分や父母の過去生の情報をも含まれていると言われています。

魂は、高次の神聖な存在でありながらも、

母親の胎内に受精して以来、人間であるDNA情報により低次の自我は生き始めます。

今、世界は二極化していると言われています。

低次の自我のエゴの欲求を満たしていくあり方と、高次の神聖な自分自身になり、この世に生まれてきた神聖な目的を生きるあり方です。

誰もが、高次の神聖な存在であるながら、低次の自我、(この場合、DNA)に振り回されて本来の自分から離れています。

物質世界が便利になればなるほど、この傾向が顕著になり、本来の自分は生き辛くなっています。

このような時代に必要なのは、仲間です。

神聖な生きる目的を共有しシェアし扶け合う仲間です。

便利で豊かな物質世界は、ますます分離していき、魂の孤独を生んでいます。

それは、本来の自分との分離であり、本来の自分を見出せず、他者との意識を共有し合えないでいる孤独。

低次の自我でのみ生きていますと、人間の持つDNAの二元生で生きることになり、不安や恐怖、競争、憎しみ、嫉妬など、負のエネルギーに翻弄されます。

それをお互いに見せ合いますと、関係はしんどくなり、安心安全でなくなり、魂は独りでいることで安心安全と思えるようになります。

あるがままの自分をまるごと受けとめてくれる仲間がいると、共に進化します。

霊的成長は、愛と光をこの世にもたらします。

二元生を脱皮して、一元生で生きる。

それは、宗教でもなく、思想でもなく、“いのち”を生きる、そのものなのではないでしょうか。

「私は、いのちであり、光であり、道である」

キリストの福音は、いのちの言葉です。

教会主義になり、宗教になってしまい、本来のキリストの伝えようとしたことが伝わっていないと言われています。

いのちは、ひとつであり、すべてのいのちはつながっています。

そのことを、一人ひとりの“気づき”から生まれています。

それを表現する人々がますます現れてきます。

私は、踊りを通して、それが顕れでることを望んでいます。

全盲の音楽家、武久源造さんが、私の踊りをオイリュトミーから、“生楽舞”と命名してくれました。

セラヴと読み、フランス語のC'est la vie(人生、いのち)から得たそうです。

『武久源造のバッハと舞』公演を開催します。

ご観覧いただければ、幸いです。

愛と光と感謝をこめて