narikimの日記

http://rainbowduowork.hatenablog.com 日記バージョン

低次の自我と高次の自我

人が恋をし、憧れる対象が、

その人の神聖な高次の自我であるとします。

低次の自我には、身体も共にあり、エゴの欲望もあります。

憧れは、その対象とひとつになりたいという欲求にもなり、

エゴを持った人間であることの欲望も付随します。

そのエゴの欲求は、生存本能からくる欲求もあれば、心からくる欲求もあります。

人間が陥りやすいのは、高次の自我のあり方から遠のき、低次の自我であるエゴの欲求を満たそう満たそうと必死になる点だと思います。

子供時代に、父母の愛を十分に与えられないで成長しますと、エゴは無意識に欲しかった愛を欲求します。

社会的に輝いている人が、私生活で不幸せであることが多いのは、

高次の自我は、とても素晴らしく神聖で高貴であるにもかかわらず、

エゴの持っているネガティヴなビリーフであり、

そのエゴの欲求を満たすには、

どんなに外側で満たしても満たしきれないのです。

それは、幼い時に、学校から帰って誰もいない家にひとりぼっちになって、心の穴が空いてしまったことであるかもしれません。

お兄ちゃんだからと言われ、いつも我慢させられたことでできた心のしこりであるかもしれません。

いじめられ、誰も助けてくれず、途方にくれている記憶の中の自分であるかもしれません。

いつも出前やコンビニ弁当で独りで食事していたとしたら、どうでしょう。

子どもは、親の作ってくれる心のこもった食事を、家族みんなで楽しく食べることが、愛であると知っています。

愛でないと、心は寂しく、悲しくなります。それが怒りにもなります。

潜在意識に溜まったネガティヴな感情は、それを埋め合わせようと必死になり、

それを満たしてくれる相手を引き寄せるのです。

しかし、魂の欠けたところを満たそうと求める愛は、真実の愛ではありませんので、お互いに傷つけ合う関係になります。

理想の相手に出会っても、お互いのエゴである低次の自我のありようによって、本来の神聖な関係が育たなくなることがあります。

人生で繰り返しているパターンがあれば、それに向き合い、軌道修正します。

自分自身に向き合い、エゴの声にどのように付き合い、本来の自分の人生を生きるか、そのためのワークがレインボーDUOワーク®です。

偉大な教えは高次の自我に届くけれども、低次の自我は習慣化されたビリーフがあるので変わりません。そのための、働きかけのワークです。

duoは、記憶の中の傷ついている自分

DUOは、高次の自我である自分

duoを癒していくことで、本来の神聖な自分が顕れ、低次の自我を愛と喜びの人生に導いていきます。

安心した場で、安心できる仲間とのレインボーDUOワーク®です。

愛と光と感謝をこめて