narikimの日記

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美しい心のヴェトナム

ヴェトナム戦争は、私が日本で生まれて、我が家にテレビが来て以来、ニュースでずっと報道されてました。

子供ながら、ヴェトナム戦争を意識しながら過ごしていました。

1979年にイギリスに短期留学した際、アジア系が少ない中、ヴェトナム人と温かい交流があり、親密感を覚えてました。祖国が危険だからフランスに住んでいると話してました。

今回、ヴェトナムに初めて訪れて、あの時の“瞳”がすぐに私に飛び込んできました。

私は、何の予備知識もなく飛んできたので、英語も通じない、ガイドブックもないままでした。あるのは、予約した宿の名前と住所だけ。

仁川空港出発直前に、ラウンジで見たサイトに、「市内行は152番のバス、スリぼったくりに要注意」とありました。

そして、いざ152番バス。ヴェトナムのお金もわからず、運転手さんが両替してくれました。そして行き先を訊かれたので、住所を見せました。

親切に停めてくれたところは、まだ離れてて、身振り手振りで方向を教えてくれましたがちんぷんかんぷん。

適当に歩いてると、喉が乾いて(いきなり夏でした)、目に入ったローカルなお店に、スムージーの写真が出てましたので、適当にオーダーすると生クリームたっぷりの甘いジュースでした。

雰囲気が安心したので、ホテルの場所を尋ねました。英語が通じません。ホテルの住所を見せますと、お店にいたみんなで何やらそれについて話し始めました。

すると、とうとう若者がバイクを引いてきました。その鍵をご老人が受け取りました。

私は、ヴェトナムではバイクには乗らないと決めてきたにもかかわらず、到着して一時間後には、この若者につかまってバイクにまたがってました。

このような生の現場にいるのがどこか幻のようにも感じました。バイクが何百台、何千台も行き交っていました。

“今”の瞬間の静けさを体験していたおかげで、心は安定してました。

この人々の“瞳”、優しさ、温かさ、落ち着きがこちらに響きます。

お礼の言葉もままならないまま、この若者は戻りました。どこから来たかも知らないので、一瞬の出会いでした。思い出すたびに、あの時の人々に愛と感謝と祝福を送っています。

そして、宿のスタッフの方々、食堂の皆さん、どなたの“瞳”も同じでした。

正直、宿でパスポートを預けさせられて、とても不安でした。でもあの“瞳”だったので信頼しました。後でわかったのは、国で義務付けられてるということで、翌日に返してくれました。大きなホテルでは、すぐにコピーして返せるようです。

‘スリひったくりに要注意’とあったけれども、私が出会ったヴェトナムの人々は皆、美しい心を感じさせてくれました。

そして、愛と尊敬を覚えました。

これから、かの人々を思い出すたびに、あの騒音と埃にまみれても明るく助け合い、たくましく暮らす人々や状況に、愛と祝福を送るでしょう。

愛と光と感謝をこめて

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