narikimの日記

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『モモ』を読む。



ミヒャエル・エンデは、私たちが気がついていないだけで、すでに第三次世界大戦がはじまっていると考えていた。その戦争は、領土や資源を対象とする戦争ではなく、時間の戦争だという。それは、子供や子孫を破滅させる戦争、未来を奪う戦争のことだ。


福島原発事故自体はもとより、福島原発事故後の政府や電力会社の対応をみると、よりはっきりした形で、エンデの主張が正しかったことが理解できる。避難したい家庭の援助をしないこと、本質的にできない除染をできると言い張って行うこと、ゆるい食品の安全基準、子供たちに対してちゃんとした検査をしないこと、どれひとつとっても、後の世代のことを抹殺しようしているかのようにしか私には思えない。


エンデはその原因を今のような利子がつくお金のあり方に求め、もともとシルビオ・ゲゼルが考えた「スタンプ貨幣」 、別の言い方では「劣化するお金」という素晴しい対案を紹介してくれている。現在の、銀行に預けたり投資したりするだけでより大きくなるお金ではなく、ただ持っているだけだと次第に価値が減っていくお金だ。そして、歴史の事実として、その気にさえなれば、そのシステムはいつでも導入が可能なことも、明らかにしてくれている。だが、言うまでもなく導入には至っていない。


これが導入されると、お金が社会をグルグルめぐって、いまより経済活動が活性化されるだろう。しかし、その経済活動は、今のように暴力的破壊的ではなく、人や環境に優しいものになる。お金が、より長期的視点、よりエコロジカルな視点で使われるようになるからだ。また、利子が利子を生むようなこともないので、金利で生活するということもあり得なくなる。あ、ここで突如、福沢ゆきちさん乱入です。「さて、問題です。どうして、もっているだけだと減るお金は、よりエコロジカルなものになって、人や環境に優しいのでしょう?答えは、国債が2000兆円になったら。(おい、ふざけるなー)


ゆきちさんの乱入で、具体的説明については先送りにされてしまったけど、せっかくだから、なんで導入されないのか、ちょとだけでも考えてみよう。


エンデが言うように、この戦いは、未来に対する戦争だから、つまるところ親による子どもやその子孫に対する攻撃だ。いまの資本主義経済社会の利益を享受しているという意味では、私もこの戦争に加担している。


福島の事故後の対応も、未来の世代に対する攻撃になってしまっているが、その主力部隊になっている、政府の人にだって、東電の取締役の人たちにだって、お子さんのいる人が多いだろうから、自分の子どもや子孫を意識的に抹殺しようと考えているとは思えない。そんな人は一人としていないだろうし、みんな家に戻れば、よき家庭人なのだと思う。


でも、実態として、第三次世界大戦になっている。それにまったくと言っていい程、ほとんどの人が気づいていないのが問題だ。


なんで気づかないのか。エンデの著書『モモ』が、それに対するヒントを与えてくれているように思う。お読みになった方には繰り返しになってしまうが、あの本のなかでは、未来を奪う存在は、時間ドロボウとして描かれている。時間ドロボウに時間を奪われる人々は、奪われていることに気づかないどころか、それを善いこと考え競って時間を「時間貯蓄銀行」に貯蓄する。それによって日々の生活は次第に忙しくなり、それにつれて自分を見失っていく。今を生きられなくなる。自分の内側の深いところにある衝動や他者の声に耳を傾ける余裕がなくなり、魂の生活や人間関係は空虚なものになって行く。


その状況をモモという名前の少女が救う。どのように救うかなどのストーリーは本に直接あたって頂きたいのだが、モモのユニークなあり方が鍵になっている。そのユニークさは、モモの人の話を聞く才能にある。モモは、彼女のところにやってきた人の話にひたすら耳を傾ける。100%の畏敬と共感にみたされた心で、いまを一緒に生きるという感じで話を聴いてもらった人は、再び自分の魂の声が聞こえるようになる。こんな聴き方できる人は、世の中にそんな多くはないだろう。


そして、いまを生きられるようになってくると、だんだん効率とか成功とか失敗とか生きる意味とか価値のあることとか、そういった私たちがでっちあげている観念が気にならくなってくる。プロセスそのものが生であり、どんな営みも神聖であることが感じられるようになるからだ。


そのことをエンデは、モモの親友の道路掃除夫ベッポに、『一度に道路全部のことを考えてはいかん、わかるかな?つぎの一歩のことだけ、つぎの一呼吸のことだけ、つぎのひと掃きのことだけを考えるんだ。』、『すると楽しくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければうまくはかどる』と語らせている。


エンデによれば、時間を貯蓄する銀行は、利子が利子を生む現在のお金システムのメタファーだという。時間ドロボウたちの時間貯蓄銀行を解体したのは、モモのようなあり方だった。だから、いまのお金のシステムを変化させるために必要な私たちのあり方も、モモに学べるのではないかと私は思う。


政府や東電の人たちも、『モモ』を読むチャンスに恵まれますように、そして時間ドロボウから逃れられますようにとお祈り申し上げたい。


あ、私の横にも時間ドロボウが。頼むから、そんなに上手く貯蓄に誘わないでくれ!


K.S