narikimの日記

http://rainbowduowork.hatenablog.com 日記バージョン

エゴから離れた瞬間

レインボーDUOワークで、大文字のDUOで表しているのは、その方のハイヤーセルフ、高次の自我というエゴのない神聖な存在なのだと思います。

肉体を持っている私たちは、エゴとともに生きています。低次の自我とも呼びます。

肉体の欲求に追従すると、お金や時間に縛られ、自分の中心がずれてしまいます。

マインドがなんとかしなければと翻弄します。

肉体とともにですから、意志力にも関係します。

運動することがわかっていても、やる気が出ない。アルカリ性の食生活はいいとわかっていても、酸性の食生活に傾く、

整理整頓してスッキリしたいと思ってもできない、などなど、筋肉を鍛えるように、意志力においても、放っておくと、楽なままでいたいのです。

生活習慣がどのように今の自分の体を創り出してきたか、体に現れています。

自分を見ることは、とても困難ですが、とてもやりがいのあることではないでしょうか?

私は最近、喜びにもに三種類あると思うようになりました。

ひとつは、あるがままであることを実感しているときの喜び。

そして、低次の自我の喜びと、高次の自我の喜びです。

エゴから離れた瞬間に、最高の体験をしますと、そこに満ち溢れる無償の愛は、歓喜の瞬間になります。

それは、得も言われぬ感情。

一旦、その感情を体験しますと、今まで感じていたエゴが喜ぶ感情が、無常のものであると識るので、体験値が変わります。

では、エゴが離れた瞬間とはどんなときでしょうか?

ひとつには、限界に向かったとき。

体を鍛えるように、目標を設定し、努力して達成したとき。

もうひとつは、エゴを持たないハイヤーセルフ(DUO)が、本来の形とひとつになったとき。

前者は、自我が肉体や感情に働きかけるありよう。

後者は、すでに生まれる前から携えていた特性が活きる形(場や状態)を用意し行動するありよう。

もちろん、前者と後者が同じであれば、さらに増幅されるでしょう。

好きなこと、やりたいことは、働きかけがし易いのですが、

自分が何をやりたいのかわからない場合、後者のあり方を取ることで、明らかになることがあります。

例えば、

教えることが、その人の特性にあった場合。

好きでもない別な仕事に従事していると、その人の本来の姿が現れず、苦い経験を積むようになります。それなりに、経験は生きるので、上達はしますが、エゴに縛られます。

しかし、自分の特性が何であるか知って、教えることを始めたとします。

最初は、うまくないかもしれません。が、教えた後に、とても充実した感情が湧き上がるでしょう。

しかし、教える体験をしていないときは、とても不安ですし、新しいことはしたくないと思うかもしれません。

体まるごと経験することが体験ですから、それをしてみなくては、感じられないのです。

初期のレインボーDUOワークセミナーで、それぞれのハイヤーセルフを観て、その特性を識るワークを取り入れたのは、このためでした。

それほどに、本来の姿からかけ離れてしまったからです。

すでに備わった特性ですから、学ばずともできるのですね。

そして、行為すればするほど、閃きやメッセージが降りてくるのです。

天職や天性とも呼んでいます。

自分が何をやりたいのかわからない方は、そういう観点もあるのだと識ることで、さらに自分をまるごと受け止められるのでは、ないでしょうか?

あるがままになり、ハートに聴いてみましょう。

愛と光と感謝をこめて