魂の柔軟さ
R.シュタイナーは、人間の魂が成長していくプロセスを7つの7年周期に表しています。
その最も重要な時期が、産まれてから歯が生え替わるまでの7年間で、〔生きる意志〕を育てると言われています。
そして、2歳から6歳頃までの幼児期は、周囲を模倣しながら学んでいます。脳波は目覚めながらシータ波です。
0歳から2歳頃までの乳幼児期は、デルタ波に近く最も深い意志を形成します。
その時期のことは、ほとんど記憶として覚えていませんが、気の体、生命の体であるエーテル体に刻まれています。
「オイリュトミーを人生のなるべく早い時期から始められた人は、その人生が幸福になる」という言葉は、
オイリュトミーが、内的な身体を調和したリズムにする働きがあるからです。
もちろん、日常生活のリズムが大切ですが、定期的にオイリュトミーすることで、心と体が活性化します。
しかし、実際の生活で、模倣となる周囲の人々のありようが“愛”でないと、幼児はショックを覚え、エーテル体の一部が滞りとなります。
それは、オイリュトミーだけでは解れない痼りとなります。
完全な親はいないので、何かしら負のエネルギーを感じ、感受性が繊細であればあるほど、人によっては些細なことでも傷つきます。
傷ついた魂は、無意識にその傷を埋め合わせようとします。
子どもの魂は柔らかいのです。
子どもは、心の底から両親を慕います。しかし、お母さんが怒って叱っていると、子どもは、そういうふうに怒らせてしまったのは、自分のせいだと思います。
自分のせいにして、自分を罰します。自分がお母さんに従わないといけない、お母さんの機嫌を良くしてあげる自分になろう、自分がお母さんを守り助ける、などなど、思いもよらないことを思ってしまいます。
魂が柔らかい時期に思ったことは、その人生を通して実現させます。
このように、最も小さい子の力が最も大きいというのは、思ったことが実現するからです。それはまた、
目に見えない思考のエネルギーが最も力があるということでもあります。
魂は、意志、感情、思考、の3つの側面を持っています。
魂の感情がわくわく喜び、いい思いを持ち、それを行動していると、魂は輝きます。
子どもが無邪気に笑い、喜び、動いている、そのままが本来の姿です。
子どもにとって、両親は、お日さまの光。
植物が、土と水と太陽の光で成長するように、人間には、周囲の人の温かい眼差し、人々の関係性、言葉がけで成長します。
生きる意志が育てられます。
しかし、生きる意志をこのように育てられなかった魂にとって、
その光が、当てられなかった魂は、厳しい山岳地帯に咲く花のようです。
花が咲くまで、自分が花を咲かせることも知らず、嵐に揉まれてきました。
若いうちは、力がありますが、中年を過ぎると、乳幼児期に受けたダメージが心や体に出始めます。
DUOワークで、これに向き合いますと、いかに過酷な人生であったか自分自身が驚きます。
そうすると、自分に休みを与えることを許せるでしょう。何もできなくなるほどに疲れてしまった心と体をいたわり、慈しむでしょう。
ある程度、DUOワークで回復された方には、わくわくすること、旅行や好きなことをすることを勧めています。
しかし、どうもそれだけではないようです。
自分が花であることに気づくこと、認識することです。
過酷な環境で育った魂は、同じように過酷な環境で育った魂に共感し同情します。
共感と同情は、癒しの最も大きな力です。
上辺でない、心の底から同情します。
ある方が、ペアセッションで座り、手に触れただけで、クライアントの涙が溢れ出しました。
この方がいかに過酷な人生を生きてきたか、誰も知りません。
でも、荒々しい山岳の岩岩に根を張り、わずかな水とたまに降り注ぐ日の光を一心に浴びて育った花は、
人生の荒波に揉まれ、どこにも光を見出せず、路頭に彷徨い、我を忘れた魂に寄り添うだけで、その魂の痛みを和らげるのです。
無邪気に笑って遊んでいる子どものように、あるがままの自分が、喜びであること、その状態が、“愛と光である”ように。
あるがままで花である自分を愛でます。
花は、見てくれることで、花であることがさらに喜びになります。
あなたの花を見てもらいませんか?
愛と光と感謝をこめて