悲しみ、怒り、その先にあるもの
悲しみや憤りの土台が、自分の両親の蓋をした感情であることがあります。
とめどなく出てくるイッシュウに向き合うことで、浄化のプロセスが加速化されますが、
男と女の性には、いつの世にも愛憎が表裏一体となり、集合的無意識の深いエネルギーを活性化しているのでしょうか。
自分自身に起きているネガティヴな感情につながる土台を浄化するには、心から安心できる人が必要です。
それができる人は、
その人自身、その苦しみを通ったことがあり、乗り越えた人です。
蓋をし続けていたら、平静でいられたであろうことから、見ることで向き合わせられる、決して見たくなかったことが浮上します。
しかし、それは幻想です。幻想でありながら、強いエネルギーが固まっているのです。
決して追体験させてはいけません。
“今、ここにいます”と、目を開け確認します。
途轍もないエネルギーを感じても、それは必ず、“愛と許し”に変えることができると信じることで、
解放のミラクルが起きるのです。
「〜を憎しむ自分を許します」
憎しみがあるのに、いきなり許すことは無理だと思ったら、まず、そういう自分を受け止め、許します。
納得がいくまで、ゆっくり徐々に解放します。
一生かけて解決できなかった思いを、次の生に繰り越しているとしたら、その重みが幾重にも重なっているとしたら、どうでしょうか。
私たちは、何を学ぼうとしているのでしょうか。
愛と光と感謝をこめて